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生活と映画 cut.1 終わらない物語について。

生活と映画

当コラムはURBAN RESEARCH MEDIAにて掲載された内容です。

文中に登場する作品

1

「アベンジャーズ/エンドゲーム」

単体で観ても理解できない映画が興行収入世界一。すごい。

アベンジャーズ/エンドゲーム

アベンジャーズ/エンドゲーム

https://marvel.disney.co.jp/movie/avengers-endgame.html

2

「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」

本作の悪役、MCUの中でも特にいいです。

スパイダーマン ファー・フロム・ホーム

スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム

https://www.sonypictures.jp/he/2313346

3

「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」

今気づいたけど“エピソード X”って言わなくなったんですね。

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け

https://starwars.disney.co.jp/movie/skywalker.html

URBAN RESEARCHの方から声をかけていただき、コラム連載を持つことになった。

普段は音楽をつくる仕事をしているので、スタジオにこもりがちであまり外を出歩かない。そのせいか趣味はラジオにゲーム、フィギュア集めなど多少インドア寄りで、そんな僕がおそらく一番時間を割いているのが映画鑑賞だと思う。他にも雑誌などに連載を持っているし、単発で文章を書く機会もあったのだけど、映画についてだけ書く場所は持っていなかったのでここで始めさせていただくことにしました。

映画には様々なジャンルがあり、国や時代などの舞台設定もバラバラだ。主人公が人間ですらないことも珍しくないし、自分に近い境遇の登場人物が出てくることの方が稀だろう。それでもどんな映画にも「この作品は自分とどこか地続きなのではないか」と思わせてくれる何かがあるのが魅力かなと思う。それが例えば宇宙のはるか彼方、遠い星を舞台とした物語だとしても。

なぜいちいちこんな話をするかというと、この連載ではなにか一つの作品について解説したり、星をつけたり、批評することが目的ではないからです。試写会で観た上映前のタイトルの話も出てこないし、話題に取り上げるのは必ずしも”名作”と呼ばれるタイトルではないかもしれない。

どちらかというと過去に観てきた映画の中からいくつかの作品や特定のジャンル、あるいは監督や役者を取り上げ、それをテーマに「それらと僕たちの生活を繋げるもの」について考えながらあれこれ書きたいと思います。

前口上おわり。

第1回は「終わらない物語について。」です。

***

「アベンジャーズ/エンドゲーム」を観たのは確か5月の大型連休のどこかだったと思う。この作品は2008年の「アイアンマン」から始まった(日本では「ハルク」の方が公開が先だったけど)22作品に及ぶフェーズ1~3、通称「インフィニティ・サーガ(The Infinity Saga)」のクライマックスとして、登場人物の数多くの“再会”と“別れ”を描ききった超大作だった。鑑賞直後はラストバトルの迫力による興奮と、全てを見届けた、という虚脱感でなんともいえない気持ちになった。

それで「アメコミファンや、この10年作品を観続けてきた人はもちろん、話題を耳にして配信やレンタルを利用して徹夜で全シリーズをやっつけた人にとってもご褒美のような映画だっただろう」みたいなツイートを確かしたと思う。劇場の一体感もなかなかのもので、鑑賞から数日経ってもまだ「エンドゲーム」のことが頭の片隅に残っていた。

「やっと彼にも休息がやってくるんだな」

「あれを受け取ったアイツはこれからどうするのかな」

「あの子がすくすくと健康に育ちますように」

と、登場人物のその後を想像しながら余韻を楽しむ。しかし翌月にはすでにそのフェーズ3の本当の完結編となる「スパイダーマン ファー・フロム・ホーム」の公開が控えていた。

はいはい。観ます観ます。

「ファー・フロム・ホーム」では「エンドゲーム」後に再生した世界で生きる高校生たちが修学旅行先で巻き込まれるさまざまなトラブルを描く娯楽作だ。シリアスな場面は少なく、ヒーローでありながら等身大の高校生らしい恋愛も同時に描く軽さがいい。細かい部分で「エンドゲーム後あるある」的に世界観を補完しているのがうまいなあ、と思った。

そしてフェーズ3の締めくくりとなるラスト、過去のスパイダーマンでは一度も起きたことのないある「すごい出来事」が起きて終わる…。

ほどなくしてマーヴェルからフェーズ4として今後数年にわたり公開される10タイトルが発表された

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僕たちの生活は今、終わらないもので溢れている。いや、終わらないものに取り囲まれていると言ってもいい。ドラクエやFFはオンラインとなり、人気が出たドラマはシーズン2、3とシリーズを重ねていく。SNSでは「続編制作決定!」などのニュースに歓喜するファンの叫びをよく目にする。スマホのソーシャルゲームに至っては話題のコラボやシーズンごとのテーマなど趣向をこらしたイベントを展開し、そもそも「終わる」という概念が最初からない。

送り手が終わらせない工夫をしてユーザーを楽しませ、ファンはそのタイトルを支えるために応援に熱をあげる。誠実な制作体制と熱心なファンの間には好循環が生まれるということなのかな、とも思う。なるほど、見習わねば。

だが僕は子供の頃から「エンディング」が好きだった。例えそれがハッピーエンドじゃなくても、漫画や小説やゲームで物語が終わりを迎え「END」なり「fin」なり「完」なりの文字を目にした瞬間の、作品が自分の中に溶け込んで自分の血肉になる感覚がたまらなかった。そしてときどき古い友人を思い出すように「あいつらどうしてるかな?」なんて想像したりする。

エンディングを味わった時にはじめて作品が自分の所有物になる気がしていたので作品が完結するまでは(例えそれが自分で買ったものでも)、他人から作品の一部を間借りしているような居心地の悪さが続くのだ。

そんな性分なので、こういった大作のフランチャイズ化や続編決定のお知らせは嬉しい反面、個人的にどうしても微妙な気持ちになってしまう。それは続編のクオリティが心配とか、つまらなかったらどうしよう、みたいな懸念ではなく、もっと「終わらない」ということそのものに対する漠然とした不安だ。一度自分の体の中に入ったものを取り出してまた送り手にお返ししないといけない、みたいな。スピンオフや続編で「あいつら」のその後が具体的に描かれてしまうことで大事な思い出を取り上げられてしまう恐怖もあるのかもしれない。まあ被害妄想に近いけど。

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よくよく考えてみれば僕たちがそういうものに囲まれている、というだけで実際には単体で独立した映画作品はたくさんあるし(というかさすがに本数でいえばそっちの方がまだ多いだろうし)、オンラインゲームも従来のストーリーモードを備えたタイトルがメインだし、そこまで悲観的にならんでも、という気もする。インディーゲームと呼ばれる少人数でつくられたオリジナル作品なんかはオフラインで完結した物語が主流だ(そしてそれはときどき素晴らしいアイデアを含んでいる)。

それらに出会い、ひとつひとつのエンディングを迎える度に、作品が自分の体の中に浸透して定着するような感覚を味あわせてくれる。普段は眠っていて、僕自身も忘れているが、ふとした拍子に目を覚まして僕に何かを訴えてくる。

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スター・ウォーズのエピソード9が年末に公開になる。先日公開になったポスターには「ーすべて、終わらせる。」というキャッチコピーが添えられていたが、ジョージ・ルーカスから全権利を買い取ったディズニーからは現時点ですでにエピソード10以降の制作が発表されている。ニューヨークの市民を困らせるヴィランや宇宙の平和を乱す銀河帝国の正体はディズニーそのものなんじゃないか、なんて意地悪なことをつい思ってしまう。

だがこれらの作品の多くは複数の優秀な脚本家が合議制のもとで脚本を練っており、作品単体としても確実に「面白い」。SFでありながら現代の世相や価値観を反映していたり、さりげない形で問題提起を差し込んでいたりして、独立した作品の中で新しい答えを示してくれたりする。だからこそ多くの人は夢中になる。いろいろ面倒なことを書いてはいるが、僕もその一人であることに違いはないのだ。

結局おまえは何が書きたいんだ、と言われてしまいそうですが、マーヴェルのフェーズ4も、スター・ウォーズのEP9も、すごく楽しみであることには変わりはない。だけどその一方で、「終わることの美しさ」みたいなものも大事にしていきたいと思うのです。