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ヴィーガンレザーと緑内障検査

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なんとなくローファーの靴が欲しくなってiPhoneでファッション通販サイトを物色してみたら、すぐにちょうどいい質感とサイズの商品が出てきた。説明文に目を通すと「ヴィーガンレザー」と書かれている。ようするに合皮のことだけど、そうか、動物由来の製品を避けるという意味ではこれもまたヴィーガンといえるのか、と思った。ヴィーガンという言葉に対する人の印象はいろいろだろうけど、ファッションを社会的関心に結びつけるという意味ではよくできた言葉だ。本革と比較したときに「安さ」以外の理由から積極的に選ぶ動機づけにもなる。物は言いよう、というやつ。

ヒールの部分のシルエットを確認したくて画像を拡大すると、本当に目が悪くなったなあ、と実感する。特に近くのものが見えづらい。いつになるかわからないけど、リタイアしたあとの人生の楽しみはおそらく映画とゲームがメインだろうから目は大事にしておきたい。周囲では緑内障を患う人が増えており、早期発見と発症を遅らせる処置が重要らしい。

なので行ってきました。眼科。

子供の頃から乱視があり、それを補正するためのメガネを使ったりしていたけど、実際この年になって、どうなんすかおれの目!ゼロベースで教えてください!緑内障も気になるんですけど、そもそも近くのものがみえないってのは、いわゆるアレですよね?老の?眼の?的な内情を吐露しつつ、視力検査をはじめ、眼球のチェックやら撮影やら諸々していただく。

許可を取る勇気がなくて先生の目を盗んで撮影した自分の眼。

子供の頃から遠くのものだけは異常にはっきりよくみえる。視力検査はいつも1.5、あるいは最近では1.2で「はい十分ですよ」と検査自体を終了するケースも多い。先生、おれもっと小さいの、みえますよ、と言いたいところだけど、日常生活においてはもう1.2で十分すぎる、ということかもしれない。今回もランドルト環の奥深くまでずいずいと潜り、おいおい先生、そこは左、さっきもやったでしょ、とばかりに左右の眼それぞれでハイスコアを叩き出した。

へへへ、そうなんすよ、おれみえちゃうんです、で、どうすかね、おれの眼、と照れながら先生の診断をきくと「あなたは乱視と、加えて極端な遠視ですね。」とのこと。恥ずかしながら遠視という症状自体がよくわかってなかったので、あらためて説明を受けることにした。

人の目は焦点のあう範囲が大体決まっており、それは人によって少し遠めだったり近めだったりする。では近めの人が遠くにピントが合わないか、というとそういうことではなく、普段あっているピントの位置からさらに遠くにあわせるために目に余分な負荷がかかるだけ、みれることはみれる、ということだそうだ。

僕の場合は普段のピントが極端に遠くに合いやすい状態になっているため、近くのものをみるのに常にエネルギーが必要になる。そしてこの手元にピントをあわせる力が衰えてきている。結果近くのものが見えづらい。「目のいい人ほど老眼になりやすい」はこういうメカニズムらしい。正確には「遠視の人ほど老眼になりやすい」ということのようだ。

ふと考える。目の見え方はその人の性格や物の考え方に影響をするんだろうか。目先のことばかり考えて先の読めない様子を「近視眼的」というが(よくよく考えると近視の人にずいぶんと失礼な話だ)、「遠視眼的」という言葉はない。でも遠くに浮かぶ景色ばかりがはっきりよくみえて近くの大事な物がみえない、というのはいかにも自分の性格っぽいな、と思ったりもする。今年は後半の計画だけははっきり立ててしまったので、そこまで躓かないように一歩一歩積み重ねていきたい。

結果的に緑内障はなかったので安心したけど、やはりはっきり「老眼」が進行している、と言われてしまったのは少しショックだった。その足でメガネ店へ行き、自分にあいそうな老眼鏡を探そうと店員さんに訪ねたら、案内されたコーナーに「リーディンググラス」と書かれていた。リーディンググラス。読書のためのメガネ。やっぱり物は言いようだ。