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生きる

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これは、この物語の主人公の副鼻腔である。上顎洞に炎症がみられ、鼻中隔弯曲症を患っているが、本人はまだそれを知らない。

子供の頃、テレビドラマやコントなどの誘拐シーンで捉えられた人の口にガムテープが貼ってあるのが不思議で仕方なかった。

こんなことをしたら身代金を要求する前に人質が死んでしまうじゃないか。

慢性的な鼻炎をもって生まれた僕は人が鼻だけで呼吸をできるということを知らずに育った。小学校に入ってすぐから母の勤める会社の近くにある耳鼻科に通院していたが、実感としてなんの改善もなく(そもそもなんで行かされているのかもよくわかっておらず)、ただただ週に2回、鼻に白い煙を吹き込むために放課後ひとりいそいそと通っていた。

確か映像の会社に入った23歳の頃に点鼻薬「ナザール」と出会い、そこで初めて「鼻が通る」という体験をした。これは本当に衝撃的だった。普通の人であれば耳の下あたりにさらに呼吸孔が増えたような感覚ではないかと思う。口を閉じていても息苦しくない!すごい!しかしナザールのような血管収縮剤の入った点鼻薬は長期使用には向かず、僕にとってはまさに「ドラッグ」というほかにない劇薬だった。

その頃になると幼少時にはあまりみかけなかった「アレルギー科」のある病院が増え、耳鼻科ではなく自分の意思でそちらに通うようになった。血液検査をし、アレルギー源をある程度特定して抗ヒスタミン剤などで抑える。喘息、気管支炎、ハウスダストによるアレルギーや花粉症などをコントロールしながらなんとか健康を維持して今日まで生きてきた感じ。

この年齢になって健康のありがたみみたいなものを実感する機会が増え、自己投資するならやはり自分の体だな、とよく考える。その一環としてこの「慢性鼻炎」とも決着を付ける時が来たのではないか、と鼻のエキスパートとして定評のあるクリニックへ手術を前提で通うことにした。

そのクリニックは東京駅からほど近い京橋にある立派な医院で、さっそくレントゲンからCTスキャンまで盛り盛りの検査を受けさせてくれ、担当医の先生は僕の頭のスライスした写真を指差しながら様々な説明をしてくれた。

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それが上にある写真だ(お願いしてプリントしてもらったのです)。

素人目にもわかるぐらい片側の鼻腔の粘膜が極端に腫れているわけだけど、いつもどちらか特定の側が詰まっているわけではなく、左右が交互に詰まっては通る、を繰り返しているのが子供の頃から不思議だった。息苦しくなることはあるけど、口を閉じていてもまあ、どうにかなる、ぐらいの感じ。

先生の説明によると鼻中隔弯曲症も併発している僕の鼻は慢性的な鼻炎が起きているものの、どうにかそれでも呼吸を通そうと自律神経と協力し、片側の鼻腔が炎症を起こしているときには、その反対側が同じ状況にならないように耐え、それが限界までくると炎症を起こす側を入れ替えて反対側の鼻腔が腫れあがる、を繰り返しているらしい。少しでも呼吸を通すため、同時に詰まることのないようにそのようなサイクルでコントロールしているそうだ。

自分の鼻腔を眺めながら医師の説明を聞いていると、まったく意識したことのなかった自分の鼻が、自分という人間を生かすために40年も人知れずそんな努力をしていたのか、と急に不憫で愛おしくなってしまい、気がついたらマスクにちょっとだけ涙が伝っていた。自分の体の一部であるはずの鼻腔がまるでドクター・ストレンジのマントのような、あるいは突然寄生したミギーのような生命体のように思えた。自分が小さな子供の頃からずっと一緒にいた友人のような不思議な感覚だった。

鼻炎の手術は1ヶ月ほど鼻うがいやステロイド点鼻での治療で様子をみてから、ということでこの日は診察が終了となったのだけど、駐車場に向かって歩きながらその動いている足や自分の手、指先、耳、目や歯などが40年以上も止まらず機能し続けてることについてあらためて生命の神秘みたいなものを感じた。

だけど一番強く湧き上がった感情はやっぱり「愛おしさ」で、たくさんの小人が体中に点在し、小さな赤ん坊の頃から体内で働き続け、支えてくれたのだという感謝も同時に湧いてきた。段々と「自分が健康であるために」というよりも、「この子たちに負担をかけないようにいろいろ気をつけよう」と思えてきた。

この話にはオチは特にないんだけど、きっと数日もすればこの感覚も忘れてしまうだろうと思って、とりあえずここに書いておくことにしました。