
タイトルの通りなのですが、今年も高知よさこい祭りにDDよさこいチームの楽曲担当として参加してまいりました。よさこいの歴史でも稀な大雨に見舞われた本大会ですが、こうして写真でみるとこれはこれで非常に美しく、踊り子さんの心に強く残る年になったんじゃないかと思います。
みんなの努力の甲斐あって、今年は銀賞1位(高知よさこい祭りでは大賞に加え、金賞や銀賞などにさらに順位がつきます)をいただきました。皆さんお疲れ様でした。

2014年に当時ODOROOMなどのニコ動踊り手界隈のみんな(メンバーに若かりし頃のMeseMoa.あおいくんなども含む)と僕を繋げてくれた方から声をかけられ、当時すでに交流があった増田セバスチャン(いつも敬称に迷うのだけど、関係値的に先生は仰々しいし、呼び捨てにするには大物すぎるし、気持ち的には数少ない友人なので、心の中で「セバスちゃん」にいつも変換してます)に合流する形で参加したのが初年度のよさこい祭りでした。
声をかけられてからの数ヶ月はまず「高知よこさい」そのものを知ることから始まり、地形や自然との関わり合いなどを肌で感じながら高知の歴史を学ぶことに費やしました。よさこいのお祭りなわけだから、「よさこい節」のフレーズがしっかり入るのは当然なのだけど、加えて独自の世界観を構築するためにオリジナルのアレンジやフレーズを追加できるのがこのお祭りにさらなる彩りを加えています。どこまでやるかは、それぞれのチーム次第。伝統を重んじる大賞の常連グループから、地元の幼稚園児だけで構成されたかわいらしいチームまで様々。楽曲のレギュレーションを分析しつつ、怒られないギリギリまではみ出したものをつくろう、という気持ちで制作を開始したのを覚えてます。この辺は山車(だし、音楽をかけながら踊り子を率いる大型トラック)をデザイン、制作している増田さんチームも同じだと思います。おかげで僕らはすっかり道交法に詳しくなってしまいました。

ここ数年、特にコロナ禍以降は、そういう「ギリギリ」みたいなこともあまり意識せず、1チームとして地元の人達や沿道のお客さん、何より踊り子さんが楽しく踊れそうなコンセプトや楽曲、ということだけ考えていて、それが今の「DDらしさ」に繋がっているのかもしれません。
新規参入・異色チームだったDDも今年で12年目を迎え、毎年賞に名を連ねる有名な参加チームと並んで受賞させていただく機会が増えました。途中コロナで開催中止になった年もあるので来年もしあれば10回目(10曲目)の節目になります。また声がかかるといいな~、当たり前じゃねえからな~などと思いながら今年の写真、動画をみかえし、なんとなく来年の構想を練っています(特にまだオファーはきてない)。

よさこいの思い出は数え切れないけど、テーマ曲でお手伝いさせていただいた「わくわくおじさんチャンネル」でもご一緒している山里さんとの邂逅は忘れられません。今年もお会いしたかったな~。今やササダンゴさんの御縁も深いので、東京とか、下手したら新潟でそういうチャンスがあるかもしれないな。